CURE

『CURE』は、1997年に公開された黒沢清監督・脚本の日本映画です。松竹の作品データベースでは1997年12月27日公開、上映時間111分。猟奇的な連続殺人事件を追う刑事・高部が、事件に共通する奇妙な手口と、記憶の曖昧な男へ近づいていく物語です。

映画『CURE』とは

主人公の高部は、複数の殺人事件に共通する「X字型の傷」を追います。しかし、事件ごとに犯人は異なり、本人たちはなぜ殺したのかをうまく説明できません。通常の犯人探しとは違い、事件の背後にある「なぜ人は殺したのか」という部分が次第に中心へ移っていきます。

どんな怖さの映画なのか

本作の怖さは、幽霊が突然現れるタイプではありません。何気ない会話、間の長さ、空白の多い画面、人物の反応の薄さなどが積み重なり、日常の中に異常が入り込んでいる感覚を作ります。Criterionも本作を心理的緊張と哲学的・実存的な恐怖を持つ作品として紹介しています。

催眠と記憶の曖昧さ

物語では催眠や記憶の欠落が重要な要素になります。誰かの意思がどこまで本人のものなのか、暴力のきっかけが外部から与えられたのか、それとも元から存在していたのかが明確に切り分けられません。この曖昧さが、犯人を特定して終わる犯罪映画とは異なる不安を残します。

黒沢清作品としての位置づけ

BFIは『CURE』を1997年の日本映画として取り上げ、黒沢清の代表的な心理スリラーとして紹介しています。後の『回路』と並べると、目に見える怪異よりも、人間の孤立や空虚さ、都市の不穏さを通して恐怖を立ち上げる黒沢作品の特徴が見えやすくなります。

『回路』との違い

『CURE』は連続殺人事件を追う捜査の形を取りながら、個人の意思や心理の揺らぎへ迫ります。一方『回路』はインターネットと幽霊、人間同士の断絶をより直接的に描きます。どちらも不安を説明しすぎず、観客に余白を残す点が共通しています。

なぜ『CURE』は考察され続けるのか

『CURE』は、事件の仕組みや間宮の力をすべて言葉で説明する作品ではありません。催眠なのか、暗示なのか、それとも人の内側に元からあった暴力性を引き出しているのか。観客が一つの答えに固定できない余白が残るため、公開から時間がたっても「結局どういう意味だったのか」と考察され続けています。

【ネタバレあり】ラストシーンは何を意味する?

終盤では、高部が間宮との対峙を経たあと、それまでとは違う落ち着きを見せます。そして最後の食事場面では、周囲に再び暴力の気配が生まれるような不穏な描写が置かれます。映画は「高部が新たな催眠の使い手になった」と断定して終わるわけではありませんが、間宮から何かが引き継がれたと読む余地を強く残します。

この曖昧さが本作の核心です。外から与えられた命令だけが人を殺すのか、それとも誰の中にも暴力の芽があり、間宮はそれを露出させただけなのか。ラストはその問いを観客側へ返す形になっています。

グロい映画なのか

殺人や傷の描写はありますが、『CURE』の怖さの中心はスプラッター的な流血量ではありません。むしろ、会話の間、静かな部屋、突然理由を失った人間の行動など、心理的な不穏さが長く続くタイプの作品です。派手な残酷描写より、意味の分からないまま人が壊れていく怖さが強い作品といえます。

『CURE』のような心理的な怖さが好きな方は、ホラー映画おすすめガイドで心理ホラー・心霊・呪いなど怖さのタイプを比較して、次に観る作品を探せます。

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確認日 2026-09-28
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